LGBTQだのいくらこねくり回そうが、究極には「我は我である」に収束する。あらゆる狂信的宗教信者や全体主義者めいた狂気的愛国者のような集団に自己を見出していても、我の存在の存在は、超えられない。

記憶喪失や心身喪失や多重人格になったり、植物状態のような意識を失う状態になるような、私が私でなくなっても、どこまでも私にすぎない。

世界を語るとき、その世界は、自分が知っている世界である。

自分が知っている事を世間の人も知っていると思うのは想像力の欠如であるし、自分の知らないは世間の人も知らないと思うは驕りと思いあがりである

学問というものは、未踏の地を踏むためか、今踏みしめている地を守るためにあるもので、自他の優越を明らかにするものでもなく、ましてや自慢し他人の欠点をあげつらうためのものではない

あらゆる我々の発明は、知的生活を伴う物質的諸力を授けたが、我々の生活を物質的な圧力に屈服させた。

人の歴史は必ずしも過去から未来へ進歩しない。しかし科学技術は否定しようが進歩し続ける。

本を焼く者は、やがて人を焼くようになるように、本を買う者は、やがて人を買うようになる。

本を書く者は、人を「書く」のだろうか?

理不尽に耐えるのは大人の要件ではなく奴隷の要件だって?理不尽に耐えなくてもいいのはクソガキだけの特権だぞ?

社会を良くしようと”分かってる人”が批判した言葉を”分かっていない人”に都合よく他者を殴るための棍棒として使われ社会に悪影響を与えるのは、よくある事だ

酷い話だ

法治は人治より優れるが、法の文に縛られ人心を無視すれば、法の統治は失われる

昔は良かった時代を経験してる世代の昔は良かった否定ほど残酷なものはない

歴史的な発見は、似非科学やオカルトとの区別がつかない。

歴史的な発見は後から振り返ったときにわかるもので、その当時に言われるものはだいたい似非なのかもしれない。

世の中に存在することについて、君も私も嫌いな存在を批判する権利はあるが、嫌いな存在を消し去ろうと活動する義務は無い

好きなものや思想は、たった一つのものに絞ってはいけない

権力に反抗する反権力は、またある種の権力を持っている。そして権力も何も持たない真の弱者は無視される。

ゆるくておおらかな世界では誰かが影で我慢している。がんじがらめで窮屈な世界が誰も我慢しなくてもよい世界なこともある。

他人を攻撃するくらいなら引きこもったほうがマシである カルトの教祖になる自信がなければ

差別を批判するものは相手を差別するがそのことに気付かない

己の快楽のために正義をなさんとする者は興味の無い領域へも侵略する

Amulech AL-9628Dを買った話

使っていたヘッドホンアンプというかUSB-DACが壊れた。 音質云々というよりは、ボリュームコントローラとして手元で音量を調節するためだけに使っていたもので、秋葉原のドスパラというか上海問屋の3千円な安物(FG-UAU04A-1AS-BC01)である。 https://akib…

自分の人生は自分では出来ていないし、自分の人生は自分だけのものだ。

ポプテピピックは間違いなく百合だし、ゆるキャン△は否定的な意味ではなく百合ではないのよ

考察めんどい

黒電話はノスタルジーあって良いよね?

幼い頃に実家の電話が、黒電話だったことを覚えている。その後、プッシュホンの電話に変わった。 母親の実家では5年ぐらい前まで黒電話のままであった。 そういう思い出を思い出し、唐突に黒電話を使ってみたくなった。 ググるとどうやら、NTT東日本のひか…

神がサイコロを振るか振らないかは神ではなく人の解釈にすぎない

光は波と粒子のどっちでもあるとか、猫が死んでるか生きてるかとか、易の陰と陽の変化ぽくない?(適当解釈) 事象の解釈はあくまでヒトの勝手な解釈なだけだよ。

当たるも八卦当たらぬも八卦

易というものを知っているだろうか? いかにも占い師というような風貌で竹の棒の束をジャラジャラやって占うやつである。 ちなみに実際に見たことはない。 私が易に興味を持ったのはアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックの歴史改変SF小説『高い城の男』…

年を越した引越し蕎麦

去年の4月に引越しをした。 その引越し荷物は、まだダンボールの中にあったりする。 普段使うもの以外なモノになるので捨ててしまってもいいのかもしれない。 とはいっても、たまに必要になるわけで、あるものを探してたら出てきたのが 引越しの見積もりを…