LGBTQだのいくらこねくり回そうが、究極には「我は我である」に収束する。あらゆる狂信的宗教信者や全体主義者めいた狂気的愛国者のような集団に自己を見出していても、我の存在の存在は、超えられない。
記憶喪失や心身喪失や多重人格になったり、植物状態のような意識を失う状態になるような、私が私でなくなっても、どこまでも私にすぎない。
本を焼く者は、やがて人を焼くようになるように、本を買う者は、やがて人を買うようになる。
本を書く者は、人を「書く」のだろうか?
記憶喪失や心身喪失や多重人格になったり、植物状態のような意識を失う状態になるような、私が私でなくなっても、どこまでも私にすぎない。
本を書く者は、人を「書く」のだろうか?